凡人は歴史に学ぶ

歴史を学ぶって、まさに人間学なんですよね。

『解体新書』

 江戸時代の人々に恐れられていた病気は、結核、痘瘡、そして梅毒でした。当時はいずれも命に関わる病気とされ、とくに梅毒は、コロンブス一行が新大陸からヨーロッパに持ち帰り、あれよあれよという間に世界中に広がっていきました。日本にも16世紀後半、ポルトガル人が来日して以降、西洋人によってもたらされたとされます。

 小浜藩福井県)の藩医だった杉田玄白は、オランダ医学を学び、梅毒を専門としていました。その玄白が、刑場で死刑囚の解剖を見学する機会を得、古来伝えられてきた五臓六腑と、実際の人間の内臓とは大きく異なっていることに驚きました。また一方で、所持していたオランダの解剖学書『ターヘル・アナトミア』が、じつに正確に記されていることに感心し、同書の翻訳を決意したのです。

 玄白は、かねてオランダ書翻訳の志を抱いていた前野良沢に協力を求め、さっそく良沢邸に集まり、後輩の中川淳庵も加えて翻訳を開始しました。しかし、玄白と淳庵はオランダ語が読めず、オランダ語の知識のある良沢も、翻訳を行うには力不足でした。オランダ語を通訳できる人間は長崎にいるため質問もできず、当然ながら辞書もありませんでした。そこで、暗号解読ともいえる方法により、翻訳作業を進めていきました。この苦労の様子は、玄白が後に著した『蘭学事始』に記されています。

 3年後の1774年にようやく翻訳を終え、『解体新書』は刊行されました。本文4巻、付図1巻からなり、内容は漢文で書かれています。ただし、翻訳作業の中心的役割を担った前野良沢の名前が著者名にはありません。その理由は、自分の名前を上げるために勉学するのではないと誓っていたから、とか、訳文が不完全だったので自分の名前を出すのを潔しとしなかったから、とかいわれています。

 『解体新書』は一般には『ターヘル・アナトミア』の翻訳書といわれていますが、そのほか多くの海外の解体書が参考にされており、和漢の説も引用されています。単なる直訳ではなく、彼らの手によって再構成された書物であるといえます。

 

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新装版 解体新書 (講談社学術文庫)

新装版 解体新書 (講談社学術文庫)